ニホンカワウソ調査録

ニホンカワウソの調査・研究の記録 カワウソ目撃情報教はこちらまで→nihonkawauso2020@gmail.com

最新のニホンカワウソ調査で明らかになったこと

 


ここ数年の調査で生息環境や生物様、目撃情報など分かってきたことは本当にたくさんあります。また、色々学ぶ中で情報の扱い方や捜索方針が固まってきたのでブログを読んでくださる方々に出来る限り公開していきたいと思っています。

 


このブログの最初の記事に書いていた”高知県で撮られたかなり確度の高い映像”についてですが、カワウソを研究している人間からすると撮られた場所や泳ぎ方、出現状況等からカワウソに間違いないと判断できるものもあるのですが、やはり誰が見てもカワウソだと分かる映像ではないので、この映像がカワウソ生息の証拠ですと公開しても環境省や行政は動かず、世間的にもあやふやになってしまうのではないかというのが僕の今の考えです。


環境省はフンや毛は生息の証拠としては認めず、確実な映像しか生息の根拠として認めない方針だそうです。(DNAはおそらく認められるだろうと思いますが)


ですので今は誰が見てもカワウソだと分かる映像を撮るために調査と撮影を行い、たまたまフンなどの痕跡が見つかればDNA鑑定に出すという方針でやっていきたいと思っています。

 

 

 

ニホンカワウソの行動範囲】


過去のカワウソ生息調査で明らかになっていることで最近、僕が考えていることはニホンカワウソの行動範囲は非常に広いということです。

 

日本で唯一ニホンカワウソを飼育した愛媛県道後動物園園長の清水栄盛氏は、カワウソの行動範囲は30kmにも及び、テリトリーが重なると非常に激しい縄張り争いをすると著書の中で述べています。愛媛県の例だと佐田岬半島から、八幡浜市、大島の範囲で1ファミリーが生息していたと述べられています。

佐田岬半島の端から端まででも30km以上ありますから、時期によっては行動範囲はそれ以上に及んだと推測されます。

 

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佐田岬半島30km以上

 

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道後動物園で飼育されたニホンカワウソ

 

 


また高知県幡多の自然を守る会で1960年代から70年代にかけてニホンカワウソを調査していた辻康雄氏もニホンカワウソは1日に10km以上も移動すると述べていました。

 


僕はこれらの説に関しては、判断を保留していましたが、現在における確実な目撃や痕跡の発見場所を鑑みるとこの説はほぼ間違いないだろうと考えています。

 

1970年代のことですが高知県の新庄川から室戸岬までカワウソが移動したという記録があります。このカワウソは新庄川でも写真を撮られ、室戸岬でも写真を撮られています。


庄川から、室戸岬までの各地で点々とニホンカワウソの目撃があり、その時間と場所から一頭のカワウソが移動したことは間違いないと町田教授は述べていました。


庄川から室戸岬までは直線距離で約85kmもあります。なぜわざわざ新庄川から室戸岬まで85km以上の距離を移動したのかは分かっていませんが、新庄川では繁殖相手を見つけられなかったのではないかと推測します。

 

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庄川ニホンカワウソ

 

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室戸岬で撮られたニホンカワウソ

当時の新聞では「予想外、室戸に出現」と報じられる。

 

 

 

補足:【新庄川ニホンカワウソについて】

 

日本で最後に映像に撮られた新庄川のカワウソですが新庄川というのはそれまでほとんど目撃や生息の情報がなかった場所です。ですので、新庄川での発見はイレギュラーなことでした。しかも、そのカワウソは人に慣れていて何度も日中に目撃され、映像や写真を撮られ、素手で捕まれてもいます。また、首に輪の跡がありました。

 

これらのことから推測するに、(ニホンカワウソ研究家界隈では言われていることですが)あの新庄川のカワウソは人に飼育されていて、逃された個体である可能性が非常に高いです。僕自身もそう思っています。

 

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素手で捕まえられた新庄川ニホンカワウソ

 

 

 

補足:【北海道のカワウソについて】

 

ついでの話ですが、1989年に北海道旭川市ロードキルにあったカワウソは鑑定の結果飼育されていた個体だとされました。ニホンカワウソかユーラシアカワウソかの判別は当時の技術やDNAサンプルの少なさから、できなかったそうです。(個体が保存されていれば今なら分かるはず)

 

ユーラシアカワウソが輸入され家庭で飼育されていたということは考えにくいので、ニホンカワウソ(北海道亜種)が飼育されていて逃げた個体なのかなと推測しています。1970年代にも旭川で何度か足跡や雪を滑った後などが発見されていたので、当時、旭川には生き残っていたと考えられます。

 

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ロードキルにあった旭川市のカワウソ

 

 


ニホンカワウソの行動】


ニホンカワウソが1年間で何度か目撃された場所でそれ以降ぱったりと目撃されなくなりました。


このことを受けて僕はニホンカワウソは同じ場所に留まらず移動し続けているのではないかと推測しました。また、ある方からこの説を裏付ける確かな証拠を得ました。


1960-70年代の調査ではニホンカワウソは3カ所ほど巣や休み場をもっていて一定の周期でそれらの場所を巡回しながら生活しているというのが定説でしたが、どうやら、この説は正しくないのではないかと考えています。当時はそうだったのかもしれませんが、現在のニホンカワウソには当てはまらないということです。

 

それは様々な理由があると思いますが、大きなものは個体数の減少により交配相手を探すための移動距離が延びていることと、河川や磯などの環境の変化により、定住できるほどの餌の豊富な場所がなくなったということだと考えています。


高知県での調査の際は地元の方に声をかけて、昔と比べて川はどういう変化をしているか、とれる魚の種類や量はどうなっているかなどを必ず聞きます。そうするとほとんどの人が「ここ数十年でとれる魚の量がかなり減った。特にウナギや鮎なんかは著しく減っている。(カワウソの大好物です)護岸工事をしたからなぁ。」と言います。

 

護岸工事の良し悪しはまた別でお話しできればと思いますが、魚のとれる量が減っていることは間違いありません。


もう一つ理由を付け加えるとすれば、ニホンカワウソは移動し続けた方がかえって安全なのではないかということです。一般的には野生動物は移動して知らない場所に行くリスクよりも生息場所を固定してその範囲で暮らす方が安全なように思われますが、ニホンカワウソは違います。

 

ニホンカワウソが激減した理由は狩猟によるところがかなり大きいです。当時は陸に上がったカワウソは簡単に捕まえられたと言われています。

 

戦争の始まる頃から毛皮目的で大量のカワウソが獲られました。人間による狩猟圧をくぐり抜けた警戒心がカワウソ1倍強い個体のみがDNAを残しているとすると、現在生き残っている個体群は自分の身を守ることに長けた集団かもしれません。

 

この説を専門家に話すと、DNAとして学習したかどうかは分からないが、ニホンザルも季節や時期によって移動しながら暮らすので、野生動物の習性の一つかもしれないと述べていました。

 

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ニホンカワウソが生息している高知県の西南部(幡多地方)

 

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カワウソのいそうな高知県宿毛市の川

 

 

 

【今後の捜索方針】

 

今後の捜索方針はカメラを複数箇所に長期間仕掛け定期的にチェックするというものです。

ニホンカワウソの行動範囲は広く、一定の場所に留まらないという仮説からいくと、ニホンカワウソの目撃があった場所でずっと待っていても、見つけられる確率は低いと思います。その場所はたまたま通っただけ、たまたま見かけただけということが多いからです。

 

ですので、目撃があった場所(その地点)のみにこだわらず、広範囲に渡った網羅的な調査が必要なのではないかと考えています。

今後はトレイルカメラで撮れた映像やカワウソ捜索の映像など、もし見たい方がいればYouTubeにアップしていこうかなと考えています。

 

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こういった映像が沢山あります。

様々な種類の野生動物の営みを覗き見ることができます。

 

興味のある方はコメントくだされば嬉しいです。


次回の記事は「ニホンカワウソの現在の生息地」について書きます。お楽しみに!