ニホンカワウソ調査録

ニホンカワウソの調査・研究の記録 カワウソ目撃情報教はこちらまで→nihonkawauso2020@gmail.com

ニホンカワウソの本当の絶滅は何年後?

 

前3回で、ニホンカワウソは本当に絶滅したのか?という観点で話を進めてきました。

 

1 不可解な絶滅宣言

2 目撃しても他人に言えない理由(可哀想なカワウソ)

3 目撃しても他人に言えない理由(利害の衝突)

まとめるとこのようになります。

 

これら3つの事例はいくつもあり、1つ1つがカワウソはまだ絶滅していないのではないかと思える証拠になります。

 

しかし、実際に絶滅していなかったとしても、残されたニホンカワウソの生息数はどれくらいいるのでしょうか。

 

現在あがってきている目撃情報等から勘案するとあくまで僕個人の考えですが、日本に残されているニホンカワウソの生息数は全て合わせても10頭前後だろうと推測します。(対馬のカワウソを除く)

種を存続させるのに数十〜四十頭以上は必要だと言われているので、その数より大幅に下回ります。

しかも、1つの個体グループあたりの頭数はせいぜい1グループ2-3頭だろうと思われます。

その理由はニホンカワウソを養う餌の量に限りがあることと、もしそれなりの数のグループが存在するなら、目撃情報がもっと増えるだろうと考えられるからです。

 

以前ある専門家と話をした際、このままいくと(10頭前後だと)遅くとも10年以内には自然絶滅だろうと言っていました。

 

信じたくないですが、このまま何も手を打たないと10年以内に約140万年前から連綿と続いてきたニホンカワウソが本当に絶滅してしまうかもしれません。

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最後(最新)のニホンカワウソ 須崎市庄川

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ニホンカワウソは本当に絶滅したのか?その3

 

ニホンカワウソは本当に絶滅したのか?

その3までやってきました!

 

なぜか分かりませんが昨年末からこのブログのビューがかなり増えています。

マニアックなカワウソブログを読んでくれている皆さんありがとうございます☺️

 

質問やコメントなどもどんどん募集しています😆

 

ニホンカワウソの目撃を言えない理由はいくつかありますが、今回紹介するものは少し話が込み入っています。

 

そもそもニホンカワウソという動物は綺麗な河川に生息し、魚を主食にしています。基本的に魚介類以外は食べません。しかも大食漢で、毎日体重の10パーセント程の量を食べるので、生きていく上で一日あたり1〜2キロの魚が必要です。鮎などの川魚だと数十匹程になる計算です。

 

つまり、ニホンカワウソはその生息場所や食べ物において、人間の生活や仕事(漁業や河川開発、工事)と利害が衝突してしまうのです。

 

1日に大量の魚を食べるカワウソは生態系が豊かで餌となる魚やエビが豊富な川を好んで生息しています。カワウソの生息の決定的な条件は餌となる魚が豊富にあることと、巣作りや子育てがしやすい安全で川岸にアシやヨシが生い茂る自然が残されたままの河川です。

 

もちろん、魚が豊富な河川では人間も漁を行います。釣り人もたくさん来ます。

少し昔の話になりますが、昭和40年頃の愛媛県御荘町(現愛南町)のハマチ養殖業者とニホンカワウソの話を紹介します。

 

当時の新聞に「ハマチ養殖の被害300万円、養殖業者は県に補償を要求」の記事がある。

新聞各社は、ハマチ養殖業者の保護か、カワウソ保護かという対立をセンセーショナルに書いた。確かに、この頃、養魚場に入れていた魚が被害にあって、経済的な損失を受けた。カワウソは町の起死回生をかけて始まったハマチ養殖業の害獣となり、密かに捕殺された。

 

(この話の続きは実は面白く、ハマチ養殖業者の向田さんが天然記念物のカワウソがこの辺りに住み着いた。それならばいっそのことと、入り江一帯をカワウソ村と名付けてカワウソ保護区を作ってしまった。しかし、カワウソの広範囲を移動する習性などから、カワウソ村の構想は失敗に終わった。)

 

この話を紹介した理由はお分かりだと思いますが、人間とカワウソは利害において大きく対立してしまうということです。

天然記念物であるニホンカワウソが貴重だと分かっていても、人間の活動の邪魔になると害獣扱いされ殺されてしまうのです。

 

もう一つ話を紹介します。

ある猟師が狩猟中に山中のせせらぎでニホンカワウソを目撃しました。そのことを猟友会の会長に報告すると、「その話を誰かにしたら、流れ弾が当たると思え。」と言われました。

天然記念物のニホンカワウソを目撃したことを公にすると、その地区一帯は狩猟禁止になる可能性があるからです。また河川の護岸工事中にニホンカワウソを目撃した場合も同じようにかんこう令(口封じ)がしかれることがありました。ニホンカワウソがいると工事が止まってしまうからです。

 

このような話は少し昔の閉鎖的な田舎ではよくあったようで、最近になって時効だと思った人たちがポツポツと証言することがあります。

 

2度ニホンカワウソを目撃している著名な釣り人の方は、「この話(ニホンカワウソの目撃談)は家族にも言えない。」と言っていました。テレビの取材とロケでも非常に遠回りに丁寧にされたようです。

そのことはよく理解できます。なぜなら、ニホンカワウソを目撃したとなればその地域にどれほどの影響があるか計り知れないからです。

この著名な釣り人の方も地域の人々に迷惑をかけたくないと話していました。

 

今回はニホンカワウソが目撃されてもその情報が表に出てこないケースを紹介しました。

とても悲しいことにニホンカワウソは人間と住む場所が比較的近く、利害関係にある動物だったのです。

しかし、だからといって”カワウソも悪い”ということではありません。

なぜ昔はニホンカワウソと人間が共存できていたのかを考えなければなりません。

人間が河川を開発し、三面をコンクリートで固め、自分たちの思い通りに川の姿や川の通り道を作り変えてきたのです。その結果、川の生態系は大きく崩れ、魚の数は激減しました。川の水は工場排水や生活排水で汚されてしまいました。

僕は昔のままが良かったとは全く思いません。世の中が発展して人々の暮らしが良くなることはとても素敵なことだからです。

しかし、このような思慮分別のない自然開発が確実にニホンカワウソの住処を奪ってしまったのも事実です。f:id:taiki-y:20190111134158j:image
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ニホンカワウソは本当に絶滅したのか?その2

今回はニホンカワウソは本当に絶滅したのか?その2と題して記事を書きます。


その1ではニホンカワウソ絶滅宣言そのものに対する疑問や政治的な疑惑について触れました。もう少し話を深めたいと思います。
 
確かに、カワウソの専門家の間でもニホンカワウソの絶滅の真偽については意見が割れています。
またそれぞれの専門家にはプライドがあるので、一度絶滅側として論陣を張ったからにはその意見を押し通そうとします。反対側もまたしかりです。
 
対馬でカワウソが発見された際も、元々対馬に生息していたカワウソなのか、韓国から漂流してきたカワウソなのかという点で(どちらも確証はない)意見が分かれました。
もちろん絶滅派は韓国からたまたま漂流してきた可能性が高いと言い、生存派はこれは在来のカワウソだと主張しました。
 
対馬のカワウソの話はとても面白いのでまたこのブログで詳しく書きますね!
あまり知られていない話もお伝えできると思います。
 
このようにニホンカワウソの絶滅については実は、色んな人の思惑や、立場が絡んでいます。
 
ここでもう一度僕の考えを述べるなら、
僕はニホンカワウソは絶滅していないと考えている立場です。その数は一桁なのか、もう少しいるのかは分かりません。数が限りなく少ないのは事実だと思います。
 
 
カワウソらしき動物を目撃したところで、多くの人はそれをカワウソだと認識しません。
なぜなら、みなさんの中でカワウソは絶滅したことになっているからです。
例え、カワウソらしき動物を見たところで、イタチやテン、ヌートリアなど同じような形をした生き物もたくさんいるのでわざわざそれをカワウソだと考えないでしょう。
 
 
カワウソの目撃についての実話を一つ紹介します。
高知県仁淀川でカワウソ調査をしていたある専門家が「この辺でカワウソを見たことないですか」と河川敷で孫を遊ばせていたおばあさんに話しかけました。おばあさんは「ないない」と言ったのですが、何か隠している様子でした。しばらく世間話をして、別れる際にポツリとカワウソの目撃について話しはじめました。
 
そのおばあさんは数日間続けて、仁淀川の河川敷で都会から来た孫を遊ばせていました。「昨日、もう少し下流に下った辺りでカワウソを見た。昔に何度かカワウソを目撃したことがあり、昨日見た生き物はほぼ間違いなくカワウソだと思う。でもその話を誰かにするとカワウソが可哀想なのでそっとしといてあげたかった。」

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高知県二淀川中流
高知県の二淀川は開発が遅れたおかげで、手付かずの自然が残っている清流です。いまだにカワウソの目撃情報があります。)
 
 
カワウソを目撃し、それをカワウソだと確信を持つ人は、誰にも話したがりません。その理由は、カワウソを目撃したなんて言うとまずバカにされる。また、上記のおばあさんのように数が少ない動物をそっとしといてあげたいという気持ちからです。
 
もう1つカワウソの目撃を言えない重大な理由があるのですが、それは次の回に話します。
 
 
 
 

ニホンカワウソは本当に絶滅したのか?その1

 

ニホンカワウソは本当に絶滅したのか?

 

多くの人はニホンカワウソは既に絶滅してしまったと考えています。

その理由はもちろん、2012年に環境省によって絶滅宣言が出されたからです。

 

しかし、本当にこの絶滅宣言に正当性はあるのでしょうか。

 

環境省によると「過去50年前後の間に、野生において信頼できる生息の情報が得られていない種」を野生絶滅と定義してしています。

 

ニホンカワウソが最後に写真に撮られたのが、1979年ですから絶滅宣言が出された時はまだ33年しか経っていませんでした。

これは完全におかしいですよね。

なぜわざわざイレギュラーな絶滅宣言を出さなければいけないのでしょうか。

 

様々な憶測がありますが、

「韓国からのユーラシアカワウソ導入」という話が出たのもこの頃からです。

 

韓国からカワウソを導入してくるなら、その前に”ニホンカワウソは絶滅している”という前提が必要です。

ちなみにトキの導入、保護に当てられた国の予算は数十億円にものぼります。導入、保護が良いのか悪いのかという議論は抜きにして、莫大なお金が動くことは事実です。

 

事の成否がはっきりしないので僕は正直、このような陰謀論はあまり興味がないのですが、一応の客観的事実なので記載しておきます。

 

また、”信頼できる生息の情報”に関してですが、1979年に高知県の新庄川で写真が撮られた後も、かなりの数の目撃情報がありました。もちろん今もあります。

 

1980年〜2000年にかけて、高知県環境省高知県によるニホンカワウソ生息調査が複数回行われました。その調査でニホンカワウソの毛や糞らしきものは見つかったのですがDNA鑑定の技術が発達していなかったので、確証は得られなかったようです。

 

調査員が複数回調査した結果、ニホンカワウソが見つからなかったという理由だけで、ニホンカワウソは絶滅したと言えるのでしょうか?

 

愛媛県では環境省による絶滅宣言が出された後も「愛媛県ではまだ調査が十分ではない」という理由で県のレッドデータブックでは絶滅危惧種にとどめると共にさらなる調査を実施しています。

 

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これが科学的な態度というものではないでしょうか?

 

 

 

 

 

ニホンカワウソと日本の文化

みなさんこんにちは〜

 

今回のテーマはニホンカワウソと日本の文化です。

 

ニホンカワウソと日本人の関わりについて前章で書きましたが、

その内容をさらにもう一歩深めていきたいと思います。

 

ニホンカワウソと日本人の関わりは太古まで遡ります。

愛知県にある八王子貝塚や、伊川貝塚(どちらも縄文時代)ではニホンカワウソの遺存骨が発見されています。

その他、カワウソの遺存骨は比較的色んな遺跡から見つかっています。

貝塚は当時のゴミ捨て場のような場所ですよね。

ということは、縄文人がカワウソの毛皮をとって捨てていたのかな?

 

また平安時代中期に書かれた『延喜式』によると、

カワウソが薬として朝廷に献上され、また、室町時代には塩辛にされるカワウソの資料も残っています。近代になってもカワウソの肝は結核や眼病の薬になるとして人間に捕らえられていました。

致死の病気だった結核にカワウソの肝が効くという噂が広まると、

カワウソの密猟が止まらなくなっていくのは必然でした。

(当時はカワウソ猟の規制はほとんどありませんでしたが)

 

今でもサイの角が解熱の漢方薬になるとして密猟されていますよね。

サイの角は実際は人間の髪の毛や爪と同じ、ケラチンというタンパク質の成分なので、

科学的には病気に効果がないことが証明されています。

 

 

 

この他にもカワウソは、芸術作品の題材として、様々な有名人によって描かれています。

 

 

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狩野探幽「獺図」福岡市美術館

 

あの有名な狩野派の中興の祖と言われる探幽の作品

水かきに施された濡れた肌あいや、毛の緻密さに驚かされます。

 

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狩野探幽 


1602-1674 | 日本 | 絵師 江戸狩野派 水墨画

 

 

 

狩野派400年の歴史の中でも類稀な才能を有した同派随一の絵師であり、江戸狩野派の始祖。

偉大なる祖父永徳が築き上げた戦国武将好みである画面からはみ出さんばかりの絢爛かつ豪壮な桃山様式から、画面の中に品良く納まる瀟洒な構成と余白を存分に生かした小気味の良い軽妙で詩情性豊かな表現を用いて独自の美の世界を確立。

天下太平の世となった江戸時代に相応しいその美の世界は同時代の美意識に決定的な影響を与えたと同時に、江戸幕府の御用絵師として狩野派一族の地位を不動のものとした。

 

 

 

 

 

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川端龍子「獺祭」川端龍子記念館

 

はい、出ました。こちらは和歌山が誇る偉人、川端龍子の作品です。前回紹介した「獺祭」というカワウソが魚を祭る場面をユーモラスかつ大胆に描いています。カワウソを袈裟を着た僧侶に見立てている点が非常に面白いですね。

しかもカワウソの顔がめっちゃかわいい笑

 

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川端龍子 


1885-1966| 日本 | 日本画家・俳人

 

 

 和歌山県和歌山市出身。

本名は昇太郎と云い、呉服商の長男として生まれています。幼い頃から絵を描くことが好きで、家族が10歳の時東京に移り住んだのを切っ掛けに画家を志し、白馬会洋画研究所そして太平洋画研究所において洋画を学び始めます。
生活のため新聞社(読売新聞→国民新聞社)の挿絵を描きながら、28歳の時、洋画を学ぶため渡米するのすが、ボストン美術館で観た日本古美術「鎌倉時代中期の絵巻『平治物語絵詞』」にすっかり心を奪われ、翌年帰国すると日本画に転向してしまいます。

近代日本画壇にあって、龍子はよく「異端者」「稀有な存在」などと呼ばれていたのですが、そのわけは、この時代の日本画は繊細で巧緻な画風が主力を占めていたのに対して、龍子は展覧会での鑑賞を目的とした『会場主義』あるいは『会場芸術主義』と呼ばれる概念を打ち立て、従来の日本画の常識を打ち破った豪快なあるいは奇抜な発想や着想で文字通りの超大作をものにしてきました

 

せっかくなので、川端龍子の代表作をいくつか載せておきます。

 

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「慈悲光礼讃(朝・夕)」1918年

 

 

 

 

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「草の実」1931年

 

 

 

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「爆弾散華」1945年

 

 

 

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金閣炎上」1950年

 

"圧巻"の一言。著者の語彙力では表現できません笑

 

 

以上、半分くらい川端龍子の紹介になってしまいましたが笑

ニホンカワウソと日本の文化の密接なつながりを感じていただけましたでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニホンカワウソと日本人

前3回はニホンカワウソの生態について書いてきました。

 
今回はニホンカワウソと人間との関わりについて掘り下げていきます。
 
 
はい!突然ですがいきなり問題です!
カワウソはみなさんご存知のある妖怪のモデルになっています。
 
その妖怪とはなんでしょうか!?

 

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考え中、、、
 
 
 
はい!その通り。
実はカッパなんです!!!!
 
見たことある方もいると思いますが、
カワウソは周囲を見回すためによく二本足で立ち上がります。
 

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見事に二本足で立っていますよね!
 
ニホンカワウソはこれより一回り大きいですから、立つと幼稚園児くらいの背丈になります。
 
また、ご覧の通りカワウソの頭は平らなので、昔の人はお皿を乗せているように見えたのかも知れません。
 
あの有名なカッパのモデルがカワウソだなんて驚きですよね。
カッパを信じている方がいたらすみません
 
そしてカワウソは数々の民話や、言い伝えに人を騙す動物としても出てきます。
いくつか紹介します。
 
 「夜二時ごろ、海岸をあるいていると、防波堤の上にはちまきをして、子守をしている女性がいた。不気味に思ったがこれはカワウソが化けたものに違いないと思い、『お前はカワウソじゃろうが』と叫ぶと、消えてしまった。」

 「カワウソに化かされて、一晩中、山中を歩かされた。」
 
「カワウソが手招きして、風呂を沸かしたから入れというから入ってみると、実はお湯ではなく、枯れ葉だった。」
 
 
このような伝承は少し田舎に行くとどこにでもあります。
 
昔の人はカワウソが人を化かすおそろしい動物と考え、オソと呼びました。
 
そしてこのオソが訛って現在の”カワウソ”になったと言われています。
川(カワ)にいるおそ(オソ)ろしい動物という意味なんですね!
 
上述の通り、
ニホンカワウソは、日本人のとても身近にいる生き物だったんですね。
早朝、川に洗濯をしに行くと、カワウソが泳いでいたり、
夜道を帰っていると、ひょっこり飛び出してきたり、、、
 
今となっては、、、😢
 
是非
ニホンカワウソに想いを馳せてみてください
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そもそもニホンカワウソってなに?(カワウソの食事編)

こんにちは!!!!

 
 
今回はニホンカワウソの食生活について触れていきます!
そもそもカワウソは何を食べて暮らしているか知っていますか?
 

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おそらくここまでブログを読み進めてくれている方は、カワウソファン(ウソラー)か、ニホンカワウソ 見つけ隊に入りたい方だと思うので、簡単な質問ですよね笑
 
 
まあ、動物園に行くと餌やりコーナーなんかがあってそこで見たことがあるという方もいると思います。
 
 
ニホンカワウソの食事のメインはもちろん魚です。
 
河川に生息する鮎や、コイ、ワカサギ、ドジョウなど、または海のアジや養殖場のハマチなども食べます。
ニホンカワウソも住む地域によって好んで食べる魚種が違うと考えられます。
 
 
魚の他には、テナガエビや、カニなどの甲殻類も大好きです。
特にニホンカワウソの赤ちゃんはテナガエビを好みます。
 
お母さんが子供に獲物の捕まえ方を教えるのですが、最初は魚ではなく、エビやカニの方が捕まえやすいのでしょう。

 

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カワウソの赤ちゃん
 
またカワウソは大食漢と言われていて毎日体重の10%ほどの量のエサを食べます。
 
 
大人のカワウソの体重が10キロほどなので、
約1キロの魚を毎日食べる計算になります笑
 
1キロってひょっとしたら人間よりたくさん食べてるんじゃない??
 
 
ところで、獺祭(だっさい)という言葉を聞いたことがありますか。
獺(カワウソ)はつかまえた魚を河原に並べる習性があります(理由は分かりませんが)
その様子が神様に食べ物を供えるおまつりのように見えることから獺祭という言葉ができました。
 
“獺祭”という有名な日本酒がありますよね。その名前の由来です。
 
 
 
でも、カワウソが魚を食べている姿って意外とショッキングなんですよね笑
僕は野生的でとてもかわいいと思いますが!
 

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ワイルド!!

 

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赤ちゃんカワウソなのに、おっさんの顔笑
 
手を器用に使ってエサを食べる姿がとってもキュートですね!!!!???
 
 
 
P.S
ペットのカワウソは基本的にフェレットフードを食べるそうなので、飼いたい方は心配しなくても大丈夫ですよ笑
 
 
 
今回はカワウソの食事についてでした!
最後まで読んでいただきありがとうございます☺️